2017年1月2日月曜日

南京町OLD&NEW






旧居留地をはじめとした西洋からの文化と、南京町をはじめとした東洋の文化、それらが日本の文化と混ざり合い、神戸の異国情緒をかたちづくっている。今回は東洋の文化の中でも中国文化を今も昔も色濃く伝える南京町をレポートした。

南京町とは

南京町は、神戸市中央区の旧居留地の西側、元町通の南に隣接していて本場の中華料理店や中華の食材店、中国の雑貨店が立ち並んでいます。北は元町商店街、南は栄町通、東はメリケンロード、西はパークロードに囲まれえています。日本の「三大中華街」として横浜中華街、長崎新地中華街と並んで称されていて、年間たくさんの観光客で賑わっており、神戸を代表する観光地の1つになっています

南京町の歴史

南京町の誕生は神戸開港直後といわれていて、神戸開港の歴史と神戸華僑の歴史と深い関わりがあります。清国と日本が国交を結んだのは1871年で、神戸開港の当時はまだ条約は結ばれていませんでした。そのため、中国人は開港時に設けられた外国人居留地に住むことができませんでしたが、当時外国人は東を旧生田川から西を宇治川の範囲の雑居地と呼ばれた地域でも居住が認められていたので、中国人は居留地のすぐ西側にあるエリアに住むようになりました。それが南京町へと発展していったわけです。神戸といえば西洋文化との関わりに焦点が当てられがちですが、それとともに華僑のひとたちがもたらした中国文化も異国情緒のある神戸のまちに影響を与えているのです。


南京町という名の由来

横浜では中華街と呼ばれているのになぜ南京町は中華街ではなく南京町という名なのか。  
 1872年の「兵庫神戸実測図」には「南京人」という言葉が記されており、そのころから中国人は南京人と呼ばれていたようです。旧居留地西側の雑居地には多くの中国人が暮らし、1877年ごろからそのエリアは「南京町」と呼ばれるようになったのです。日清戦争のころから「南京人」という呼び名は中国人を差別するようなニュアンスを持つようになり、「南京町」という名称を変えることも検討されたそうです。しかし、近年はそんなネガティブなイメージもなくなり、横浜や長崎の中華街との違いを出したいという意図もあり、そのままの名称が受け継がれているそうです。

南京町の門
 南京町には3つの門が存在します。東側に「長安門」、南側に「海栄門」、西側に「西安門」があります。北側は元町商店街があるためか、門が存在しません。長安門は町の顔的存在で1985年に完成し、1995年に大震災で半壊しましたが、翌年復興しました。日没~22時頃はライトアップされます。



長安門


海栄門


西安門



南京町広場

ここが南京町広場です。南京町の中心にある休憩スポットで可愛いオブジェがたくさんあり、シンボル的存在である「あづまや」が建っています。テイクアウトしたものをここで食べる人が多く、一日中人が途切れることはありません。記念撮影のスポットとしても有名です。昼と夜ではまったく雰囲気が異なり、夜の方が赤い装飾がとてもきれいでおすすめです。カップルでデートしても間違いないです。


南京町に行ったらまず豚まん





 写真ではあまり美味しそうには見えませんが、一口サイズで食べた瞬間広がる肉汁は最高でとても美味しいです。毎日1万個以上も売れているという老舗で店先の行列は南京町の名物の一つです。食べた感想として気を付けるべきなのは非常に脂がのっているため、食べる時は手でなくお箸で食べるのがおすすめです。

 この機会だから知れた南京町の歴史や、名前の由来などすごく面白かったです。普段何気なく行っていたのがこれからはまた違った目線で楽しめそうだなと感じます。また、夜の南京町に今回初めて行ってみて昼の賑わいとはまた違ったある種のロマンチックな要素があって夜のほうにまた行ってみたいと感じました。

参考文献
・南京町と神戸華僑(2015) 松籟社
・兵庫県の歴史散歩 上 神戸・阪神・淡路(2006) 山川出版社
・神戸・兵庫 お散歩マップ(2014) 実業之日本社
・まめたび神戸(2013)  JTBパブリッシング

取材:末廣大稀