2017年1月2日月曜日

朝ドラで再発見された異人館

北野坂にある異人館はスタバに変身。気軽に異人館を味わえる。


雑居地に建つ洋館

 神戸北野に日本の雰囲気とは少し違った通りがあります。年代ものの洋風の建物が坂が多いこのまちのあちこちに建っています。異人館通りとも呼ばれるこの界隈はどうしてできたのでしょうか。その理由を知るために150年前の神戸港開港に遡ります。
 日米修好通商条約をはじめとする安政五カ国条約(1858年)によりアメリカ・イギリス・ロシア・オランダ・フランスの五カ国と函館・神奈川・長崎・新潟そして兵庫の五港の開港を決め、日本は外国人を港の特定の地域でのみ居住を認めました。それが居留地と呼ばれるところです。函館・長崎・神奈川は1859年に開港されました。しかし神戸港は朝廷の反対により1868年にやっと開港されました。開港されたものの、居留地の建設が遅れたため外国人達の要請により幕府は北野町一帯を含む、居留地を囲む広い地域を外国人が日本人から家や土地を借りられるようにし、雑居地と呼びました。雑居地の雑居とは日本人が住んでいるところに外国人も住んでいいという意味なんですね。ちなみに、この雑居地のおかげで日本人と外国人の交流ができ、日本と西洋と東洋という異文化が交わって神戸の独特の文化が形成されたんですね。
 話はもどって、異人館とはその雑居地のエリアの中に欧米人が居住するために住宅として建設した洋館なのです。当時300軒を超えていた異人館も戦火や老朽や震災で現在は30軒ほど、公開されているのは20軒ほどです。 


観光地として再発見される


  その昔、外国人のひとたちの住まいとして建てられた異人館ですが、居留地の日本への返還や世界大戦を契機に多くの外国人は日本を離れていき、静かな住宅街となっていました。そんな北野町が観光地として脚光を浴びたきっかけとなったのが、NHKの朝ドラ「風見鶏」でした。大正時代、外国人のパン職人と国際結婚した女性が、営んだパン屋さんのドラマでした。このドラマで舞台となったのが北野町。このドラマによって異人館のある北野町は神戸の観光名所として再発見されたのです。それまで住居として使用されていた異人館は、いわばアミューズメント施設として趣向を凝らした企画を考え観光客を招き入れるようになったのです。
その結果、もともと静かな住宅地であったこの界隈には多くの観光客があつまり、それを目当てとしたお店ができるようになり、現在の北野町となったのです。そんな北野町の来し方を知ると、観光名所異人館が別の表情を見せてくれる。これもまた神戸の面白いところだと思いました。

 
参考 
 
異人館のある街並み北野 神戸市教育委員会事務局社会教育部文化財課 編 出版 神戸市教育委員会
取材:東浦彰吾