2017年1月10日火曜日

デザインで見るモダン神戸

 なにか面白い題材はないかと探すために、図書館で”神戸レトロコレクションの旅(石戸信也)”という本を見つけました。その本の中で紹介されていた絵に私は目が止まりました。その絵は現代にはないレトロなデザインが素敵だったので紹介していきたいと思います。

「兵庫県舞子公園」


 絵葉書で現在の舞子の公園の一部分です。今でも訪れることができるような場所がこのようにデザインされて絵葉書になっていると思うと面白いとおもいました。実際に訪れて比較してみるともっと面白いかもしれないですね。

「商標ラベル」

フィンドレー・リチャードソン商会(洋紙・織物・保険)がデザインしたものです。日本らしい大きな鯉のぼりの絵の中には英字が書かれています。和洋折衷なデザインがとても目を引き良いと思いました。外国の会社がこのように日本のデザインを使用することで、外国にはない珍しさから魅了されて購入するということもあったのではないかと推測できます。

「商標ラベル」

ハイン・ブロケルマン商会(窓ガラス・洋反物類輸入など)がデザインしたものです。当時の服装や髪型や地形など様々なことがこの一枚から読み取れると感じました。日本のデザインではありますが、どこか中華風なイラストで不思議な和を感じられます。このイラストから外国から見た日本は、中国と見分けがつかず、一緒くたになっていたのだろうと推測できます。


「第3回みなとの祭りポスター」 

「みなとの祭」のポスターの作者は第1回・第2回は小磯良平さんで、第3回は市民の応募でした。英字が使用されているにも関わらず、右から文字が書かれているところから今と昔が入り交ざっている時代であることがわかります。(昭和10年)小磯良平さんは神戸と関わりの深い画家で、西洋画のみならず、このように地元神戸のデザインも手がけていることから地元への愛も多かったのだろうと思います。


「マッチラベル」




 神戸は明治時代の頃はマッチ工業の街でした。明治10年(1877)神戸ではマッチの製造が始まり、明治13年の滝川弁三の清燧社をはじめ幾多の会社が生まれました。明治20年代後半には日本最大の生産量を誇っていました。神戸在住の麦少彭や呉錦堂など在神華僑(神戸に在住の中国人とその子孫のこと)の活躍でアジア各地に輸出され、大正期まで神戸の輸出を支えました。それらのマッチラベル(燐票)のデザインは多岐にわたって美しく、船・風景・人物・動植物・家具や生活用品まで収集家の集める無限の世界があります。国内の日常生活用でも商店など多くの広告宣伝マッチが作られ。
神戸の古くからあるお店には今でも広告宣伝用マッチが置いてあるような気がします。これも神戸がマッチ工業の街だった名残りなのかなと感じました。

「ウィルキンソン・レモンのラベル」


「ンモレ。ンソンキルヰウ」そうこれは今コンビニやスーパーなどで見かける「ウイルキンソン」の前身です。
1889(明治22)年ころ、英国人ジョン・クリフォード・ウィルキンソンは、宝塚の山中で炭酸鉱泉を発見しました。
この鉱泉水をイギリスに送り分析したところ、世界の名鉱泉と肩を並べる良質な食卓用ミネラルウォーターとの結果を得られました。そこでウィルキンソンは生国から最新の設備を取り寄せ、1890(明治23)年に「仁王印ウォーター」の名で販売を開始されました。
その後1904(明治37)年、仁王印ウォーターは「ウヰルキンソン タンサン」と名を変え、販売されるようになります。

 ここで豆知識!!発泡性の炭酸水は、海外では「ソーダ」と呼ばれています。これが日本で「タンサン」と呼ばれるのは、ウィルキンソンの商標が一般化したものなのです。
「タンサン」の名は、ウィルキンソンが当時の英国領事に相談して決めたといわれています。領事は神戸に長く駐在し、日本の習慣にも明るかった人物です。タンサンというネーミングは広く親しまれるようになり、いつの間にか一般名詞のように使われるようなったそうです。


 昔のデザインをよく見てみることで当時の文化が分かったり、ウィルキンソンようにローカルな商品がメジャーとなって世界で販売されていることにすごく驚きました。

引用文献
石戸信也(2008)『神戸レトロコレクションの旅 デザインに見るモダン神戸』神戸新聞総合出版センター



取材:堀尾楓