2017年1月2日月曜日

神戸の主、生田さん



 
浜のほうでは旧居留地だったり南京町であったり、山のほうでは異人館だったり…。昔港町で貿易が盛んな場所であり…いろいろなところで異国情緒が楽しめる神戸。そのコスモポリタンな雰囲気のまちの中心に「和」の象徴がある。海外からの観光客で賑わう「生田さん」を訪ねた。


生田の神様

生田神社の本殿に祀りされているのは、稚日女尊(わかひるめのみこと)という神様である。「稚くてみずみずしい日の女神」という意味で、伊勢神宮に祀られている天照大御神の妹神と伝えられている。日本書紀には、稚日女尊が神衣を織っていた時に、スサノオノミコトが馬の皮をそいで、それを部屋の中に投げ入れ、稚日女尊は驚いて機から落ちて、持っていた梭で体を傷つけて死んでしまったという話がある。


例祭に捧げるへそだんご

生田神社では、毎年4月15日の例祭に「へそだんご」という神饌(神様へのお供え物)を献じている。大国隆正が書いた「へそだんご画讃」に「へそだんご」の意味が明らかになった。そこには、このように記されている。


生田の神の氏子と名乗る村々にて、
この生まれぬるはじめての七月の末、
へそだんごといふものを作りて祝ふことなりとぞ、
そのうたをと、その里人に請はれて折り句に

へしとしのそのはじめをたどらねど
むかしをかへぬこのならひかな

生田神社の氏子は七月の末、その年に生まれた子供にへそだんごを作って、健康長寿を祝う古例があった。また、生田神社は古来、健康長寿の神様として信仰が篤い神社だ。氏子に出生児があると必ず神社に初宮詣を例とし、もし参詣しないときはその児のへそが曲がって成長しないとの伝承がある。


生田の森合戦


 生田の森に源範頼の大軍勢が攻め入ったとき、武蔵の国の住人河原太郎・次郎の兄弟が先陣をきるが弓上手の真名部五郎にいられる。これがきっかけとなり、源氏の軍勢はどっと生田の森に攻め入った。とりわけ、梶原一党が攻め込むと、乱戦になった。このとき、源氏の若武者梶原源太景季は、境内に咲き誇った梅の一枝を手折って背中の箙にさし、近くにあった井戸の水面に梅をさした箙を写し、生田の神に武運を祈った。

生田神社年行事


曲水の宴

4月上旬の吉日を年毎に選び行われる。
生田神社御鎮座1800年を記念として生田の森の整備を行い平成13年に初めて行われた。それ以来年行事の一つとなっている。
平安時代朝廷や貴族の間で「桃の節句」に行われた遊びで、中国から伝わった禊の儀礼だ。中国では古来旧暦の3月はじめの巳の日に川のほとりで禊を行う習俗があった。純朴な古代の民衆が野山の川原にて身を清め、無病息災を祈る信仰だ。その後に、清流が緩やかに流れる水辺に座り曲水に酒杯を浮かべて詩歌を読むことに発展した。琴の調べと雅楽の音色が響く生田の森で、男性歌人は、狩衣姿、女性歌人は小袿姿の雅やかな装束で行う。
     

生田祭神幸式

例祭の当日の午後、もしくは近日の吉日を年毎に選び行われる。当番地区を中心に構成された行列の長さはおよそ1kmにわたり、生田神社周辺を歩く。総勢500人を超える行列であり、八重桜の咲き誇る中、神戸に春を告げる祭りだ。御先太鼓の軽快な響きの中、梶原武者、獅子舞、子供みこし、大人神輿行列の数カ所に神受所という祭壇が設けられ、各所役は神受所で厄除けや繁栄の儀式を行う。行列の最後尾に宮司と当番地区役員が歩き、神受所で地域の安全と繁栄を願う祭典が執り行われる。



参考 
加藤 隆久著『生田の社とミナト神戸の事始め』,戎光祥出版株式会社  
生田神社ホームページ https://ikutajinja.or.jp/

取材:白石幸広