2017年1月10日火曜日

神戸の城

おしゃれ神戸に城なんかあるの?あるある!!ということで神戸にあったお城について調べました。

摩耶合戦で幕府軍を打ち破った城 

城跡にある公園(神戸市のホームページより)

<摩耶山城>(神戸市灘区摩耶山、摩耶ケーブル「星の駅」より徒歩10分)
 神戸市灘区の摩耶山にある城。『太平記』には、摩耶合戦の項があり、元弘三年に赤松円心則村(赤松則村)が、鎌倉幕府軍討伐のため兵を摂津に進めた。その時に、摩耶山に城を築いたとされている。標高500mの山城で石垣、土塁、郭、堀が残されている。


天然の地形を利用した難攻不落の城 

 神戸市のホームページより 
<滝山城>(神戸市中央区城山、神戸市営地下鉄 新神戸駅/阪神高速 神戸線 京橋)
 神戸市中央区にある城。元弘三年、赤松円心則村が京都の六波羅軍を破ったのちに、こもった城である。滝山城は自然の地形を利用した城で、城の東側が断崖絶壁となっており非常に攻めにくいと言われている。また、敵に攻められた時だけに利用した城である。この城の最後は、天正七年、天下統一を目指す織田信長に攻められ落城したことで運命を終えている。


織田信長の武将、荒木一族の最後となった城

 神戸市のホームページより 
<花隈城>(JR西日本、阪神電鉄元町駅徒歩5分; 阪急神戸高速線花隈駅徒歩2 分、神戸市営地下鉄県庁前駅徒歩7分)
 神戸市中央花隈町にある城。石垣が多く使われた平山城であったとされている。いつ築城されたのかははっきりしていないが、織田信長が家臣の荒木村重に築かせたと言われている。東南は高さ12.6mの切り立った崖で守り、北も7.2mの崖になっていた。武家屋敷も城下町も天然の谷とも言える堀で囲んでおり、実践向きの城であったとされている。天正六年に荒木村重が謀反を起こしたため、織田信長の家臣、池田恒興に攻められ、花隈城は落城した。


天然の堀を形成した、「海城」

 神戸市のホームページより 
<兵庫城>(神戸市営地下鉄 海岸線 中央市場前駅 徒歩約3分)
 神戸市兵庫区中之島にある城。池田恒興が荒木村重の支城だった花隈城を攻め落とした功績をたたえられ西摂のほとんどの領地を信長からもらう。その時に、花隈城を取り壊し、その石を利用して恒興が築いたとされている。湊川の支流が天然の堀を形成し、前面に港をもつ「海城」を防御の拠点に整備されたと思われる。しかし恒興はわずか二年の在城で美濃国(岐阜県)に移され、兵庫は豊臣秀吉の直轄地となった。城として機能したのはたった二年と言われている。明治七年に兵庫港が大改修され、兵庫新川運河が造られたため兵庫城跡はほとんど破壊されて運河の下に沈んだ。

終わりに

神戸には、姫路市の姫路城や明石市の明石城のような天守閣を持つような城はない。しかし神戸の城は、歴史上重要な役割を果たしてきたということが調べて分かった。


参考文献
「ひょうごの城」新版(編著者:橘川真一 角田誠、発行者:岡部信夫、発行所:神戸新聞総合出版センター)
兵庫県神戸市のお城一覧(城郭放浪記)(http://www.hb.pei.jp/shiro/hyogo/?c=kobe)
市民のグラフこうべ(http://www.graphkobe.jp/list.html)

取材:森下 駿