2017年3月6日月曜日

森本倉庫の倉庫に迫る!




「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である森本倉庫株式会社に「みなと神戸広報応援団」が取材に行ってきました。
 1870年創業から神戸港の発展とともに歩んできた森本倉庫株式会社の二本柱は倉庫業とビル事業。中でも倉庫業は社名が示す通り、会社のルーツとなる仕事です。



倉庫業務の取り組み

神戸・西宮に6つの倉庫を持つ森本倉庫。会社案内で「お客様の大切な商品を責任もって通関・保管・輸送する総合物流業」と銘打たれているように、預かった品物を倉庫に保管するだけの仕事ではないのだ。倉庫というスペースを用いてものを保管するという業務の前工程や後工程には、例えば船へ荷物を上げ降ろしする荷役(にやく)をはじめ、通関から輸送・配送・流通加工などいろいろな仕事がある。森本倉庫は倉庫を核に物流全般を総合的に取り扱っているのだ。

全自動定温湿倉庫 http://www.morimoto-soko.co.jp/
 
一言で倉庫といっても森本倉庫にはいろいろな倉庫がある。まず温度や湿度という点から見ればどういう倉庫があるのだろうか。
 保管する温度の種別では、温度管理を行わない一般的な貨物を保管する普通倉庫、10℃~20℃で、食品、飲料や温度管理を必要とする貨物を保管する定温倉庫、定温倉庫よりもさらに低い5℃~マイナス40℃での保管や冷凍商品を保管するのに適する冷蔵倉庫がある。さらに「全自動定温湿倉庫」といって、全自動管理制御システムにより、お客様のニーズに合わせた温湿度管理を各倉庫単位で行える設備と機能を有したハイテクな倉庫もある。「温度」ではなく「温湿」、つまり温度とともに湿度も管理するということだが実際にはどうやっているのだろう。
「外の湿度が変わると中の物にも影響するので、湿度が低ければ霧で調整をし、湿度が高ければ乾燥機を使って乾燥させますね」という答えがかえってきた。

 
フードディフェンス

今回、いろいろと興味深いお話を伺ったので、特に印象に残ったお話をふたつ紹介しよう。
 まず匂いの話だ。話をお聞きして驚いたことは、保管をするときに匂いに注意を払っているということだった。例えば紙類は匂いを吸収しやすいから、匂いが強いものの隣に置いてしまうと、匂いがうつることがある。そういう場合は別の倉庫に保管するのだ。
 次にフードディフェンスの話。ディフェンスとは「防御」。原料調達から販売までのすべての段階において、人為的に毒物などが混入されることのないように管理するのがフードディフェンスだ。フードディフェンスには「不審者を入れない」「監視する・死角を作らない」「私物を持ち込ませない」というポイントがある。

 ひとことで倉庫といってもそれをビジネスにするならば、一般人が想像できない部分で厳しく管理されていることがわかった。私たちはいろいろなものに囲まれて、あって当たり前、安全で当たり前のように、いや、そんなことすら意識せずに生きている。さまざまな会社やひとびとの安全・安心に対する飽くなき取り組みがあり、そういった人々のおかげで私たちの暮らしがある。そういうことを知ることができた貴重な取材だった。


取材:山根創太
取材協力:森本倉庫株式会社

2017年3月3日金曜日

森本倉庫のビル探検

「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である森本倉庫株式会社に「みなと神戸広報応援団」が取材に行ってきました。森本倉庫の2本柱のひとつ、ビル事業のレポートです。


三宮グランドビル竣工年:1995年 所在地:神戸市中央区磯上通2-2-21(三宮から歩いて約10分)

高さ:11階 延べ床面積:35,751.97㎡

 倉庫業からはじめられた森本倉庫がビル事業に進出したのは、今から約半世紀ほど前の昭和40年でした。その後、神戸の発展とともに成長し、三宮駅前の一等地に8棟のオフィスビルを展開されています。三宮のミント神戸から県道21号線を隔てた南側にある「三宮ビル北館」にオフィスを構える外資系企業大手P&Gジャパンをはじめ、優良企業が森本倉庫のオフィスビルに入居されています。
 今回は、「ゆとり・潤い・快適」をコンセプトとされている森本倉庫のビルのひとつ、「三宮グランドビル」におじゃましました。


ゆとりのオフィス空間(三宮グランドビル)


 

 オフィスビルというと、空調がしっかり効いたムダのない空間というイメージがします。そんな先入観はビルに入った瞬間、消えてなくなります。 
 1階から最上階の11階まで吹き抜けになっている館内。実際に使用されていたヨットの展示、船首を思わせるテラス席も…。森本倉庫のルーツである神戸港の海をモチーフにされたのでしょう。 


 森本倉庫のビルで驚いたのは、「ゆとり・潤い・快適」を感じさせる空間演出だけではありません。最新の三宮ビル北館では、停電やハプニングがあった時の非常電源は24時間持つそうです。
 また、国土交通省が主導して作られた建築物の環境性能評価システムであるCASBEE (キャスビー、建築環境総合性能評価システム)ではSランクと最上位。さらに、環境に優しい建物であるかどうかを評価する「DBJグリーンビルディング認証」ではゴールドを認証されています。これは、単純な「経済性」だけではなく、「環境・社会への配慮」を併せ持つ建築に対して評価される日本政策投資銀行の制度です。
  
まさに、「ワンランク上のビジネス空間」だということを実感させられました!




生まれ変わった北館(三宮ビル北館)



2015年11月に、三宮駅前の一等地に建設された三宮ビル北館は、神戸の中心地を飾るにふさわしいシンボリックな建物。活気ある神戸の街づくりにかなりの貢献を果たしています。
  森本倉庫がビル事業に進出したのは昭和40年。実はこの時、この地に建てられたのが、先代の「三宮ビル北館」です。このビルは平成7年の阪神淡路大震災により、全壊してしまいました。つまり、三宮ビル北館の完成は森本倉庫にとって新しい始まりであり、完全復興の象徴でもあるのです。


 森本倉庫の「三宮ビル北館」建設を追うように、JR三ノ宮駅の南側に建つ「三宮ターミナルビル」や、JR三ノ宮駅の近くの阪急神戸三宮駅では、「神戸阪急ビル東館」の建て替え工事が始められています。
 三宮は戦後商業地として発展してきました。昭和32年に神戸市役所が庁舎を構えてからは市全体の中心となりました。昭和56年にはポートアイランドと三宮を結ぶ「ポートライナー」が開通。新しい街区への玄関にもなりました。しかし、神戸を襲った震災の被害が深刻だった六甲道や新長田などの復興が急がれ、三宮はにぎわいが衰えつつありました。
 三宮界隈はどう変わっていくのか、これから目が離せません。

取材 平林 光紅
取材協力 森本倉庫株式会社




神戸を愛して約150年!森本倉庫の通関業務



「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である森本倉庫株式会社「みなと神戸広報応援団」が取材に行ってきました。
 神戸港の発展とともに成長してきた森本倉庫。歴史と伝統のある企業なのに、消費者の視点からはあまり知られていない。そこで今回は通関業という視点から森本倉庫にスポットを当ててみました。


1、「通関業務」とはなにか?
まず、「通関」とはなにか? 「関税法等に従って、貨物の輸出入について税関の許可・承認を受けること」である。つぎに、通関業とはなにか? 「他人の依頼により,輸出入の申告や関税の確定・納付等の通関手続,関税法などによる処分に対する不服申立等を代理・代行し,これらの通関書類を作成することを業として行うこと」のことである。
日本は、石油、鉄鋼などの資源から肉や魚介類、果物といった食料品まで、さまざまなものを海外から輸入している。海外からやってきたこれらのものを日本国内に持ち込む時、「持ち込んでいいものか」、「関税を払う必要があるのか」という判断が必要となる。これを管轄するのが「税関」である。通関業者(通関業を行う会社)や通関業者で働く通関士は輸出入者に代わって、輸出入時のさまざまな手続きを行うのだ。
 

2、「通関士」とはなにか?
輸出入されている物品の輸出入者が通関手続(税関への手続)を通関業者に依頼をした際に通関手続の代理・代行を行う専門家であり、財務省管轄の国家資格だ。  
海外旅行の際の個人用貨物などを除けば、通常は通関士ではないひとが、他人から依頼されて貨物の輸出入申告手続きをすることはできないのだ。また、通関業法の規定により、会社で通関業をするには原則として通関士の資格を持った社員が必要なのだ。
 通関業法で規定されている通関士の主な業務は、通関書類の審査と審査後の記名捺印。現在では通関業者・税関・輸出入者やその他国際貨物業務を取扱う者が参加する専用の情報システムで行うため、書類の作成や審査もほぼすべてはパソコン上で行う。その他にも、税関に対して申告内容の説明を行うことや、税関検査の立ち会いなどの仕事がある。
通関士は税理士や公認会計士のように独立開業ができない。通関士として働く会社は、通関業者や通関部門を自社に持つメーカーなどだ。





~森本倉庫で働く人たちに聞いてみた!通関業務のこと~


櫻川直樹さん(取締役総務部長) 渡海正夫さん(常務取締役営業本部長) 中川茜さん(営業部 通関士)

堀尾:では、さっそく質問させていただきます。通関業務でよく取り扱う輸入品・輸出品はなんですか?

中川:輸入品であれば、多いものは食品ですね。カルディーやプラザで取り扱っている海外のお菓子から工場に持っていったりする小麦粉など、あらゆる食品を取り扱っています。後は化学品、おもちゃ、機械、家具なんかも取り扱っています。

堀尾:ほんとにあらゆるものを取り扱っておられるんですね。

中川:はい、輸出品であると、例えば100円ショップで売られているようなものとか。
 

堀尾:私達の身近にあるようなものも取り扱われていますね。通関業務のお仕事は忙しいのでしょうか。

中川:忙しい時とそうでない時の波はありますが、基本的に休日は休みです。クリスマス、バレンタインチョコなどのシーズンや年末年始はやはり忙しいですね。

渡海:夏であれば飲料水が多くなりチョコは少なくなってくるというふうに季節も関係します。

櫻川:倉庫に貨物を預かるときも、通関業務もそうですが、季節に合った商品を輸出入することが、安定した物流に繋がるわけですね。

堀尾:女性通関士として最後にひとことお願いします。

中川:そうですね、神戸通関業会が主催する神戸女性通関士会で役員をしています。会議では女性だからと甘えるのではなく、男性と対等に仕事していくために女性同士で話し合って、それを共有して通関業全体の仕事を良くしていこう、働きやすくしてゆこうということを目標にして、今は活動しています。

堀尾:貴重なお時間をありがとうございました。


参考 
森本倉庫 社員紹介 http://www.morimoto-soko.co.jp/employ/interview/int03/
取材:堀尾 楓

2017年2月6日月曜日

黄色のバナナはどこで生まれるのか


「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社上組におじゃましていろいろなお話をお聞きしました。その中から、特に印象に残ったバナナについてレポートします。


 日本で売られているバナナのほとんどは輸入品。原産地から私たちの食卓に並ぶまで鮮度が保たれるのはなぜでしょうか。それは、「コールドチェーン」というものが開発されたからです。コールドチェーンとは、「低温物流」。つまり、冷凍・冷蔵によって低温を保ちつつ、生鮮食料品を生産者から消費者まで一貫して流通させるしくみのことです。

別室へ運ぶ際の通路も外気と遮断されている。

 神戸の港に荷揚げされるバナナのほとんどを取り扱っている上組は、「コールドチェーン」を構築し、バナナが生産地から運ばれて店頭に並ぶまで一定に温度を保っています。一定の温度で運ばれるため、バナナにストレスを与えることなく、新鮮な美味しい状態を長く保つことができるのです。
 生産地の港で保冷船の保冷庫に積み込まれたバナナは、13〜14℃に保たれたまま数週間かけて神戸港まで運ばれます。

 
 

 今回は、甲子園球場(約38,500㎡)以上の広さ(48,095㎡)もあるどデカい倉庫を見学させていただきました。そこに保管されているバナナを見ると、どれもこれも食べられないような青い色をしたバナナばかりがありました。
日本の法律によってバナナは、青い状態でしか輸入してはいけないと規制があるからです。輸入された青々としたバナナは室(むろ)と呼ばれる温度・湿度などが管理された熟成室で、追熟され、はじめて、おなじみの黄色いバナナに変身するのでした。


どこか外国のバナナの木にたわわに黄色いバナナが実っていて。それを収穫して船積みして運んでくるのではないのです。バナナはいろいろな手間をかけて私たちが愛する美味しいバナナに熟成する。そういう技術や設備が私たち消費者の食生活を支えているということがわかりました。

 



 最後に、「神戸開港150年を機に、これからの神戸について」お伺いしました。
 神戸港の開港と共に神戸に生まれ、上組は日本の港と共に成長してきました。
 1995年の阪神・淡路大震災の影響もあり、1980年当時、世界の港湾別コンテナ取扱量で神戸港は世界3位だったのが急落。東アジア最大のハブ港として栄えていた神戸港でしたが、震災のダメージもあって神戸港の代わりに、釜山港が日本の荷物の積み替えを行うハブ港となってしまい、今では新興国の台頭もあり、アジアのハブ港は上海やシンガポール、香港、釜山となってしましました。
 荷物が集まらないと港は繁栄しません。神戸は、港と共に繁栄してきた街ですから、
企業理念にもあるように、常に時代の風を読み、変化する社会の要請に即応しながら、一歩先のテーマに取組み、企業価値の向上と、経営の安定に努め、これからも神戸を支えられるように頑張りたいとおっしゃっていました。



上組の皆さんは多くの質問にとても詳しく、丁寧に回答してくださいました。
本当にありがとうございました。


取材協力:株式会社上組

フォトドキュメント「上組とバナナ」



 今回、取材のきっかけとなったのは、株式会社上組が、神戸開港150年記念事業パートナーで、この事業のために協賛・支援をしてくださっているからです。
 そして、私たちは「みなと神戸広報応援団 」として、神戸の魅力を発進する一員として日々活動しています。今回はその一環として取材をさせていただきました。


「三宮駅」からポートライナーに乗って「南公園駅」下車。東方向へ約10分歩くと上組物流センターに到着です!

株式会社上組と上組ポートアイランド物流センター

株式会社上組は、兵庫県神戸市中央区に本社を置く、港湾運送業・倉庫業・重量物運搬などを仕事とする大きな港にはなくてはならない港湾運送最大手の会社です。 1867年創業ですから、まさに、神戸港開港とともに誕生した会社です。神戸港からスタートした上組は今では全国の主要港湾で活躍しています。
 上組ポートアイランド物流センターは、「上組デザイン物流」のモデル施設です。バナナなどの青果物を最適の環境に保つことのできる最新鋭の空調設備を装備した燻蒸・低温倉庫に加え、チルドから常温までのきめ細やかな温度管理の必要な食糧・食品を取り扱う多機能倉庫です。


 

1903年、バナナと上組との運命の出会い

 バナナが日本に初めて輸入されたのは1903年。はじめて神戸港にやってきた台湾バナナを保管したのが上組。それ以来、上組とバナナは切っても切れない縁なのです。ということで、バナナの倉庫の紹介です。みんなでヘルメットを被って出発です!

神戸に陸揚げされるバナナの95%以上は上組  

この写真に載っているダンボールすべてがバナナです。入ったとたんバナナの甘い香りが!

バナナの倉庫の温度は13.5° 

 低すぎると「風邪ひき」と言って表皮が変色します。逆に高すぎると追熟してしまい色が変わってしまい商品になりません。バナナは13.5°という温度が大切なのです!いかに13.5°を保ちながら出荷まで鮮度を落とさないようにすることが難しいのです。バナナは温度が命!

みどりいろしたバナナ


 他の記事にも書いてありますが、輸入されるときは緑のバナナなのです。なぜ緑なのか。それには、日本にいないミバエという害虫がからんでいます。ミバエはものすごく繁殖力がありバナナをダメにしてしまいます。黄色のバナナは柔らかい、だからもしかするとミバエがそこに卵を生んでいる可能性があるのです。しかし、緑色のバナナは堅いから大丈夫。だから原産国から船積みされるバナナはすべて緑色。黄色いバナナの輸入は禁じられているのです。

倉庫も通路も低温が保たれるコールドチェーン

これも他の記事で触れられていますが、大事なところなのでもう一度。
コールドチェーンとは、入荷から出荷まで同じ温度で品質を管理する仕組みのことです。例えばバナナのように、同じ温度を保ちつつ、青果物を生産者から消費者まで一貫して流通させる仕組みです。上組ポートアイランド物流センターでは、加工センターと倉庫を繋ぐ通路もコールドチェーンの一部。室内も通路も一定の温度で保たれているのです。

バナナに付いた虫を駆除

 海外から輸入されたバナナなどの青果物を検疫し、有害な虫(先ほどのミバエなど)が見つかった場合にガス消毒をするための倉庫です。品質が徹底されています。




 見学させていただき、青果物ひとつひとつが大切に扱われていることがよく分かりました。ふだん何気なく食べているバナナですが、私たちのもとへ届くまでの輸入から出荷までの道のりが長く深いことが分かりました。また、品質管理の徹底さに驚きました。
上組ポートアイランド総合物流センターのみなさん、ありがとうございました。


株式会社 上組 ホームページ
https://www.kamigumi.co.jp/
取材協力:上組ポートアイランド総合物流センター

取材:仮谷智乃

アシックスのトライアス 

「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社アシックスに「みなと神戸広報応援団」がおじゃますることになり、いろいろ調べてみると、私たちの知らないアシックスのビジネスを発見しました。それがトライアスです!
株式会社アシックスHPより


Tryus(機能訓練特化型デイサービス)とはなにか

 アシックスといえば、「スポーツ用品を作っている会社」というイメージがありますが、実は、それだけではないのです。今回取り上げた「Tryus(トライアス)」は、スポーツ用品作りの中で培ってきたノウハウを活かした、要支援、要介護認定者の方々を主な対象とした、運動機能の向上・維持のための専門施設なのです。
Tryusという言葉の意味は「明日(us)に向かって私たち(us)と努力する(try)と、「us」に2つの意味を持たせた造語。「利用者の方とそのご家族、そしてスタッフとで、ともに未来に向かって努力していこう」という思いが込められています。


トライアスの5つの特徴

株式会社アシックスHPより

1.洗練された空間
 デイサービスと聞くと、どちらかといえば楽しいというイメージは浮かびません。トライアスはそのような印象を覆します。白を基調としたガラス張りの開放的な空間になっています。個人的な話で恐縮ですが、以前、足の手術をしたことがありましたが、リハビリをしたのですが、そこにはこんな雰囲気は皆無。しんどかったのを思い出しました。そういう体験からすれば、利用者の方はたぶん、リハビリやトレーニングのつらさやしんどさも和らぐのではないでしょうか。

2.1人ひとりに最適なパーソナルプログラム
 トライアスでは、利用者の方1人ひとりに合った個別プログラムでトレーニングを行っているそうです。関節可動域や注意能力などを測る体力測定の結果と、最初に設定する「なりたい自分」の目標との差をしっかりと把握しながらマシンのトレーニングの回数や時間が設定されるため、科学的で最適なムリなくムダもないトレーニング内容が設定できるのです。

3.充実のトレーニング設備
 高齢者の方もしっかりとトレーニングできるよう、小さな力でも効率的に行えるアシスト機能が備ったマシンが備えられているそうです。高齢者の方が不足してくるバランスや柔軟性を本格的に鍛える「スリング」という機械を完備しているのも特徴です。

4.さまざまなスタッフをそろえた安心のサポート体制
  充実しているのは施設や機械だけではありません。利用者のトレーニングをサポートする機能訓練指導員や介護福祉士の方はもちろん、その他にも体調管理を行う看護師、ケアマネージャーさんと連携する生活相談員の方がサポート。いろいろな人にサポートされることで気も晴れることもあると思います。

5.数値化された体力測定
 独自の開発の機器を含む高精度な設備で体力測定をするそうです。それにより、短時間かつ誤差の少ない測定結果が得ることができ最適なトレーニングプログラムを作成することができます。最適なプログラムというのはひとそれぞれ。3か月ごと体力測定を行い結果と反映しながらそのつど最適なプログラムを考える。このようなシステムなら、目標も見えやすくやる気に繋がるんでしょうね。


Tryusのこれから

 東京オリンピックが開催される2020年には、東京都の人口の25%以上が65歳以上になり、その内70歳以上が40%。また、日本の全国では2020年に65歳以上が29.1%、2030年には31.6%になると言われ、どんどん高齢化が進んでいきます。
 スポーツに関わる企業として健康に身体を動かせる「健康寿命」を伸ばすことに役立ちたいという思いから、アシックスはこのサービスを拡大していきたいという思いがあるそうです。現在は兵庫県下で5施設を運営していますが、他の地域への展開も検討していきたいとのことでした。


参考
株式会社アシックスHP
日経新聞データベース
取材 末廣 大稀

アシックス誕生秘話



株式会社アシックスHPより


「神戸開港150年記念事業のパートナー企業」である株式会社アシックスに「みなと神戸広報応援団」がおじゃましていろいろなお話をお聞きしました。そこで私は、アシックスの歴史と、アシックスが生まれた神戸について調べて見ました。

 アシックスの創業者鬼塚喜八郎さんがなぜスポーツシューズを作ろうと思ったのか…。
 鬼塚さんは1945年戦争から復員した後、約3年、兵庫県神戸市の商事会社でサラリーマンとして働いていました。しかし、戦後間も無い頃の子供たちを目にし、独立を決意しました。その頃の日本は焼け野原で、悲惨な状態でした。お金も食べるものもないこの世の中で子供たちはどうなってしまうのか…
 鬼塚さんは、これからの日本を担っていくのは今を生きている子供たちだと考え、スポーツを通じて子供たちの健全な育成に貢献したいという思いから、スポーツシューズの会社を立ち上げました。


それから鬼塚さんは当時大小さまざまなゴム靴メーカーがあった神戸・長田地区でスポーツシューズ生産の技術ノウハウを1年間習得し、1949年3月に神戸市に鬼塚商会を創業しました。
そして1977年オニツカ株式会社、株式会社ジティオ、ジェレンク株式会社の3社が対等合併し、現在の「株式会社アシックス」が誕生したのです。



「靴の街」神戸 

「神戸シューズ」HPより


 次に、鬼塚さんがスポーツシューズ生産の技術ノウハウを習得した場所、長田区の靴の歴史を紹介します。神戸市、特に長田区はよく「靴の街」と称されますが、どのような歴史があるのでしょうか。
歴史は神戸開港まで遡ります。外国人居留地を中心に、神戸に外国人が住むようになりました。
 そしてその当時、草履や下駄などを作る職人が、外国人の靴を修理し、新しく作るようになりました。それが神戸の靴の始まりです。
 靴の中でも特に有名なものが「ケミカルシューズ」です。神戸市は日本で最初にゴム工業が起こった場所であり、ケミカルシューズ産業は長田区、須磨区に集まっていました。始めは自転車用のタイヤチューブが作られ、次にゴムベルト、ホースやがてゴムの靴が作られるようになりました。ゴムの靴を作ったのも神戸が日本で初めてです。しかし戦争や不況が続き、ゴムが手に入らなくなり、ゴムメーカーはいろいろな材料を合わせ、靴を作りました。昭和21年頃苦心の末に生まれたものが「ケミカルシューズ」なのです。

参考 
アシックスの歴史
http://corp.asics.com/jp/about_asics/history
神戸教育情報ネットワーク「履き倒れ?の町」 神戸「ケミカルシューズ」
http://www2.kobe-c.ed.jp/tbm-ms/?action=common_download_main&upload_id=7665

取材協力 アシックス

                          取材 西 美佑