2017年1月2日月曜日

スポーツも居留地から伝わった

 
今でこそスポーツは、競技としてのスポーツはもちろん、趣味としてスポーツを楽しむ人々も増え、すっかり人々の生活の一部となりましたが、スポーツは上流階級にのみ許された娯楽であり、ある種のステータスとなった時代もありました。そのスポーツが、どのようにして庶民の間に広がっていったのか。神戸の旧居留地がそのきっかけになったのです。


ゴルフから水球まで

 1858年、日米修好通商条約締結を契機に外国人居留地を開港場に設置することが決められ、1868年、神戸港が開港し居留地が設置されました。食文化、ファッション、娯楽などが居留地を中心に神戸の町に住んだ外国人のライフスタイルが神戸に住まう人々に浸透していきました。
 神戸に住んだ外国人たちはスポーツを楽しみました。ゴルフ、ボクシング、テニス、バドミントン、サッカー、野球、ラグビーといった今では日本でも大変メジャーなスポーツから、登山、ヨット、ボート、水球。それらはみんな神戸から日本へ浸透していったのです。今回はゴルフに注目します。



神戸とゴルフ

 日本で初めてゴルフ場ができたのが実は神戸なのです。
1901年にグルームという外国人が、六甲山に日本で初めてのゴルフ場を、建設しました。重機器のない時代すべてが人力によるものでしたが、人件費などの費用は、すべてグルームが負担しました。
 最初のゴルフクラブは4ホールしかなく、物足りないものでした。しかしグルームは、より多くの人にゴルフを楽しんでもらうために、大変な負担を背負いながら、コースを9ホールに拡張し、会員制のクラブにしました。ちなみに第一号ティーは当時の兵庫県知事服部十三でした。
 日本初のゴルフ場が六甲山に作られたという情報は、横浜や長崎の外国人、果ては上海、香港の外国人にまで聞こえ、避暑をかねてどんどん訪問者を増やしていき、1904年10月には、さらに9ホール増設し18ホールの本格的ゴルフ場となりました。そして同年、日本で2番目となるゴルフ場、横屋ゴルフ・アソシエーションが、六甲山の麓、住吉川河口近くに誕生しました。
 グルームは多くの人々に六甲山の自然、山上での生活の素晴らしさを知ってもらいたいと六甲山を開発していきました。

グルームとは


アーサー・ヘルケス・グルームはイギリス出身の実業家です。兄のフランシス・グルームの勧めで神戸で仕事をすることになり、1868年、開場したばかりの神戸外国人居留地を訪れました。彼はスポーツクラブの創設にも関わりました。それが今も続く「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」です。「健全な精神は健全な体に宿る」と考えていたグルームは、水泳、陸上、野球などのスポーツが日常的にできるようになればと考え、アレキサンダー・キャメロン・シムとこのクラブを創設しました。発足して間もなく、体育館を建設。ここではボクシングやフェンシングといった近代スポーツも行われました。また、会員以外にも開放され、居留地内のコミュニティースペースとしての役割も果たしたそうです。現在も神戸レガッタアンドアスレチッククラブは兵庫県神戸市中央区の磯上公園にあります。
 神戸といえばファッションや洋菓子、異国情緒のある街並みなどで知られていますが、スポーツもまた神戸を窓口に日本に伝わったいったことを知り、神戸の奥深さを感じました。

参考文献
出典 神戸グラフNO28神戸ゆかりの外国人3ページより
高木 應光,『神戸スポーツはじめ物語』,神戸新聞総合出版センター 
棚田真輔,『神戸スポーツ草創史』,道和書院 
神戸レガッタアンドアスレチッククラブHP http://www.krac.org


取材 東浦彰吾