2015年8月19日水曜日

第45回みなとこうべ海上花火大会レポート その3

神戸の夜空を彩る光の芸術

みなとこうべ海上花火大会の歴史

2015年8月8日、約一万発の花火が打ち上げられ、26万8400人が来場した第45回「みなとこうべ海上花火大会」は、大盛況のうちに幕を閉じました。兵庫県下最大級の花火は正に圧巻の迫力!関西を代表するといっても過言ではないこの「みなとこうべ海上花火大会」。今回はその歴史についてお話しようと思います。


神戸港と花火大会



現在の「みなとこうべ海上花火大会」は1971年に造成中のポートアイランドで打ち上げたのが始まりです。 神戸港での花火大会のルーツは更に古く、最初は1933年11月7日の午後6時から第1回「みなとの祭」のイベント「神戸ナイト」として、中突堤付近の海上から打ち上げたのが最初です。観覧場所は中突堤、税関第1突堤、高浜岸壁、税関川崎波止場、萬國波止場の5ヶ所でした。翌年には11月7日に中突堤付近の海上から花火を打ち上げたほか、6〜8日の3日間にわたって毎夜、大倉山公園でも花火を打ち上げました。 1935年11月6日から8日に行われた第3回「みなとの祭」では、兵庫突堤、大倉山、東遊園地、報徳商業学校校庭、須磨区役所裏から花火を打ち上げました。 1936年から戦時色が濃くなり、まつりは神事だけとなり、終戦後の1948年の第16回「みなとの祭」で花火を再開しましたが、1960年を最後に神戸港への入港船の増加により花火大会は中止されました。

「海の記念日花火大会」から「みなとこうべ海上花火大会」へ



この花火とは別に1951年7月20日の第11回「海の記念日」に神戸国際観光協会と神戸新聞社が主催する「海の記念日花火大会」が須磨浦海浜公園ではじまります。昼花火130発、夜300発と仕掛け花火が行われました。1970年7月20日の第29回「海の記念日」の花火大会で打ち上げ場所の防波堤が満潮時に海水に洗われて花火の爆発事故が起こったため、須磨海岸では打ち上げられなくなり、神戸市港湾局がポートターミナルの活性化を図るため、造成中のポートアイランドにこの花火大会を誘致しました。

 翌1971年7月20日の第31回「海の記念日」の花火大会に神戸市港湾局が主催者として参画することになり、第1回「みなとこうべ海上花火大会」になりました。当初は400発から700発程度でしたが、打ち上げ場所をメリケンパーク沖に変更した1987年には2000発台に増やし、平成13年に3700発、翌平成14年に4000発、平成16年に5000発、そして、平成21年以降は尺玉も入れて1万発以上の兵庫県下最大規模の花火大会になりました。

 今までにも幾度か足を運んだことのある「みなとこうべ海上花火大会」ですが、今回こうしてみなと神戸広報応援団として取材をするまで、その歴史についてはまったく知りませんでした。行事の歴史を追ってみると、同時に神戸や神戸港の歴史までもが見えてきて、とても興味深いものでした。街のルーツというのは案外、身近に潜んでいるものなんですね…。


 
(参考)
花火大会の歴史 [みなとこうべ海上花火大会ホームページ]より
https://kobehanabi.jp/history/


取材:佐藤千花