2015年10月24日土曜日

神戸街中探訪シリーズその2 和田岬特集 その1「和田岬砲台」2015/10/8

  今回の記事は、神戸和田岬特集!三菱重工の神戸造船所の敷地内にある「和田岬砲台」と、和田岬にお店を構える「北の椅子と」さんを取材してきました!

そもそも和田岬ってどこ?どんなところ?
 兵庫県神戸市兵庫区に位置する岬。1895年に神戸初の水族館「和楽園水族館」が建てられた場所でもある。明治時代中期以降に、先端部に三菱造船や川崎造船所等の重工業が進出して工業地域として発展。現在では、三菱重工業神戸造船所や三菱電機、川崎重工業等の工場が建ち並んでいる。ノエビアスタジアム神戸のある場所であり、JR西日本の和田岬線により兵庫駅とつながっており、地下鉄神戸海岸線通っている。


和田岬砲台(三菱重工 神戸造船所)
和田岬の奥、三菱重工神戸工場になんと明治時代から現存するという歴史的建造物「和田岬砲台」を取材してきました!
台外観写真は他の工場内が写る可能性があるのでNGでした…。外観はぜひ現地で!


和田岬砲台って何?
 神戸造船所構内には、江戸末期の1864年(元治元年)に建設された「和田岬砲台」が現存しています。 当時、外国艦船の来航に伴い、沿岸を防備する必要に迫られ、徳川幕府により和田岬・川崎(湊川)・西宮・今津の各所に同型の砲台が建設されました。設計は勝海舟。完成には、約1年半の月日と2万5千両の費用を要しました。湊川・今津の砲台はすでに取り壊され、西宮の砲台も内部が焼失し、石郭のみとなり、現在、和田岬砲台のみが当時のままの面影を残しており、 1921年(大正10年)3月3日には兵庫県下における史跡第1号に指定されています。【三菱重工HP内 展示施設 和田岬砲台より引用】


はぇ~。そんな昔のものが今も残っているのかぁ。という第一印象と“砲台”というワードに少しロマンを感じたので……

内部からの写真です!

 添乗員さん同行で、玄関口からバスで移動すること数分。立ち並ぶ工場の建物の奥に、どっしりとした石造りの塔が!
実は和田岬砲台、内部の木造部分の腐敗が進んでいたため、平成21年から4年の歳月をかけて修理工事を行ったそう。しかし、外観の石造りは解体無しで補修を少しする程度だったそうです。
外観の石は、御影石で出来ており、1.2mの厚さのものを、24個×10段で構成されており、総重量は石だけで3000tにもなる。明治時代のものであることをまったく感じさせないほどの美しさ。現代の耐震基準もクリアしているほど頑丈だそうで、さすが要塞。


つづいて、砲台内部へLet’s GO!
がっしりとした外観とは裏腹に、中は木のぬくもり溢れる空間。とはいったものの、まさしく大黒柱と言わんばかりに48cmもあるケヤキの木で出来た“四天柱”と呼ばれる柱が、四本真ん中に立っているので、安心感をも感じさせてくれました。中心の井戸は砲台を打った後に砲身を冷却するための水を汲むために設置されたもので、周りには、排水用の通路も確保されていた。


中心から上を見上げると、木の柱が放射状に並べられている。これは、当時の西洋の建築方法を真似たものではないかと推測され、ナポレオンタワーが元なのでは?と噂されています。

 奥に進むと、当時弾薬置き場とされていた棚が…!貼り付けてある「の」「お」「し」などのシールは建設時そのままのものだそうです。なんだか急に明治時代にタイムスリップしたような気分になります!

 柱の上部に打ち付けてあるノミと釘は、建設時に使われたものを再利用して使用しているそうです。鉄のサビ具合に時代を感じ、その釘の大きさに、ならではのロマンを感じました……
 ということで、これほどしっかりと作られた和田岬砲台ですが、実は一度も砲身が設置されることはありませんでした。撤去も考えられましたが、祝砲台として存続することとなり、今に至ります。

 和田岬砲台を見学してみて、和のにおいの中に洋の技術が含まれていて、文明開化の日本を象徴するような建物だなぁと感じました。内部の構造も外観の強さも、当時の日本人の情熱が凝縮されているようで、心揺さぶられました。
 この記事を見て、是非行きたい!と思ったあなた!見学は毎月第2木曜日に開催しています!詳細は三菱重工HP→展示施設和田岬砲台のページをご覧下さい!電話受付での申し込みになるので、ページから日程を確認して応募しよう!



取材 西村成也