2016年12月30日金曜日

神戸ルミナリエと阪神淡路大震災(2016/12/20)

 毎年、師走の神戸を飾る風物詩「ルミナリエ」。それが始まったきっかけ淡路島から阪神間一体を襲った阪神淡路大震災だった。私が生まれる前、この地を襲った大震災について調べた。


1995年1月17日、直下型地震が神戸を襲った

1995年1月17日5時46分52秒、兵庫県南部は大きな地震に襲われた。震源地は淡路島北部〈北緯34.6度、東経135度〉、震源の深さは14キロメートル。最大震度7(観測史上初)だった。横揺れと縦揺れが同時に発生。余震回数は延べ2135回(1月17日~7月10日)。
この地震は、「平成7年(1995)年兵庫県南部地震」(M7.2)と命名された。
 死者6,308名。戦後最大の都市型災害だった。亡くなった方の多くの原因は窒息と圧死だった。全壊建物は、100,209棟、家屋などの被害も甚大だった。
 

引き裂かれたライフライン

阪神・淡路大震災では、水道やガス、電気などのライフラインが被害を受け、町はその機能を失った。復旧に要した時間は、水道が90日、ガスが83日、電気が7日、電話が6日です。水道やガスは地中に配管が埋まっているため復旧に時間がかかったのだ。
 道路も寸断された。阪神高速が受けた被害はとほうもないものだった。橋桁や橋脚が635メートルにわたって横倒しされ、復旧に622日を要した。鉄道も29路線が不通となった。


そしてルミナリエ


2016年、今年で22回目を迎えるルミナリエは、毎年、神戸の師走を飾る風物詩として定着している。「阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂」と「都市の復興再生」がテーマになっていいるのだ。


私は幼いころからルミナリエに来ている。ルミナリエには年の瀬を飾る祝祭イベントではない厳粛な気持ちになるのはなぜか。それは、あの震災でいろいろな痛手を負いながら、懸命に生きてこられ、今、なんとか復興をとげつつある神戸の人々が、亡くなられた人々に向けて、祈りをささげる日だからだ。




(しあわせ運べるように)


「しあわせ運べるように」は神戸市に住んでいる人たちなら絶対と言ってもいいほど有名な、20年以上歌い継がれてきた名曲だ。作詞・作曲をされたのは、神戸市の小学校の音楽教師である臼井真さん。震災以降、神戸では、震災慰霊式典はもちろん、ルミナリエお点灯式やイベントなどでずっとこの歌が歌い継がれている。 


しあわせ運べるように
作詞・作曲 臼井 真

「地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支えあう心と明日への 希望を胸に
響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように
届けた私たちの歌 しあわせ運べるように」





参考文献
・阪神・淡路大震災 都市直下型地震と地質環境特性-東海大学出版会 日本地質学会 環境地質研究委員会編
・阪神・淡路大震災誌-1995年兵庫県南部地震1996/2朝日新聞大阪本社「阪神・淡路大震災誌」編集委員会


取材:仮谷智乃